土田陣屋
兵庫県朝来市和田山町土田

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  播但連絡道路、「和田山IC」から312号線を北へ、国道9号線を豊岡方面に走ります。

3kmほどの国道の西側、土田の町には土田陣屋(はんだ)がありました。

 
  土田から北へ、養父駅近くの教連寺(高田)には陣屋門が移されています。

久々に出石の名が出てきたよ、ソバを食べたいけど、20皿食べれるほど若くないよね。
 

 
延宝元年(1673)、出石城主である小出英安の弟・英直が1.500石の分知を受けて、この地に陣屋を構えました。

慶応二年(1866)、六代目・秀実は樺太境界交渉の正使としてモスクワに赴いています。

『参考文献を参照』

 

  
土田の風景
  「土田の風景」

まずは土田の町へ、移築された門を探します。

町を越え、山麓のお墓がある所、するどいカンは衰えてる。

でも、右の山は土田観音山城、写してる後ろの山は富栖城(とびす)と考えられる。

まだまだ衰えていないな。 資料にもそう書いているし、ほっとしたよ。
 

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