井ノ口構居
兵庫県加古川市平荘町井ノ口、見土呂

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  加古川の東岸を北へ走り「日岡神社」を越え、「加古川大堰」を越えて「上荘橋」で加古川を西へと渡り、すぐ北側へと曲がります。

河川から下に降りて、まもなくすると国民宿舎「みとろ荘」が見えてきます。 その宿舎のところが井ノ口構居(いのくち)です。

 
  国民宿舎「みとろ荘」のあたりが本丸・二の丸です。

「みとろ」、漢字で書くと「見土呂」と書くんだね。

この名前には「絶世の美女 見登呂姫」の話が伝わっているよ。
 

 
城の規模は「播磨鑑」には、本丸26間(46.8m)×26間、二の丸は27間(48.6m)×21間(37.8m)と書かれています。

「播州諸城交替連綿之記」によれば、志方城主である志方家則の次男・孫次郎家金が城主と伝えられ。この孫次郎が井口氏の始祖となり、子息二人と共に居住していました。

その後、三木合戦の時には別所形についた依藤三河守の居城となってしまいました。

現在「みとろ荘」の建っているところが本丸跡です・

『現地案内を参照』

 

  
本丸跡
  「本丸跡」

ここは「みとろ荘」の入り口、東と南側には竹林と掘で囲まれ、今でも城跡だったことが分かるよ。

フロントで「見登呂姫の碑」の場所を聞きました。

北側の道を西へ500m、北へ行くと「見土呂フルーツパーク」、そこを南へ曲がり公民館の前だよ。

と、すごく親切。 思わずお風呂に入って、奥の間でビール飲んでしまいそうになったけど、ここは見登呂姫に会いに行く。
 
見登呂姫
  「見登呂姫」

六代将軍・足利義教の首を取った赤松満祐の時代、この井ノ口は家治が城主でした。

家治には娘・見登呂姫があり、満祐の家来の若者が、その美しさに心を奪われたのです。

若者は想いを告白したのですが、見登呂姫はそれを断りました。腹を立てた若者は、姫の命を奪い裏山に埋めてしまったそうです。

村人たちが姫の死を知り、石仏を刻んだ跡なのです。(裏側でした、表に回ってくださいね)
 

  
見土呂フルーツパーク
  「見土呂フルーツパーク」

沢山の観葉植物と明石大橋を見て、いも掘りの後はバーべキュでお腹もいっぱい。

向かいの観光果樹園では、すもも狩りに栗拾い。 栗は拾った事あるけれど、すももはないなぁ。

見た案内板は梨狩りだったのかな、それともぶどう狩り。

色からすると「りんご」かな、もう一度行ってかじってみるよ。
 

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