那波浦城
兵庫県相生市那波南本町

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  新幹線相生駅手前を南へ曲り、相生港方面へと進みます。

250号線の港には「道の駅白龍城」、その北側には、那波浦城(なばうら)がありました。

 
  歴史民族資料館や図書館がある中央公園、すぐ東には大嶋城があるよ。

これは万葉の歌碑、見えてる中学校あたりが那波浦城だったらしいよ。
 

 


赤松一族の宇野重氏が城主です。

建武三年(1336)、後醍醐天皇に叛旗を翻した足利尊氏が九州から東上してきました。 それを天皇方の新田義貞、脇坂義助や児島範長・高徳父子らは備前で迎え討つのです。

しかし岡山県での「福山合戦」「三石合戦」で敗れ、今木・大宮・松崎など二十七騎は東へ落ちのびて、この那波浦を通りすぎました。

それを聞いた重氏はあとを追い、六騎になった一行を阿弥陀宿で自決させました。



貞和年間(1345-50)、赤松則祐の子である義則(満祐の義父)が、この那波浦城を築城しました。

天正七年(1579)、秀吉に攻められた時、城主・越智為親は城に火を放ち、自刃するのです。

『参考文献を参照』

 

  
白龍城
  「白龍城」

道の駅「白龍城」から見た相生湾、ペーロン祭が行われるよ。

紀元前300年、中国の懐王は秦の軍勢に捕らえられ命を奪われました。 懐王を援けていた屈原も川に身を投げるのです。

人民は悲しみ、のち白龍の船を浮かべて競漕し、霊を慰めました。

1655年に長崎に伝わり、大正11年に長崎の造船所従業員が相生に伝えたのです。
 

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