七松城
兵庫県尼崎市七松町

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  JR山陽本線「立花駅」で降りて南に出ます。 南東に数分歩くと「七松八幡宮」、この辺りが七松城(ななつまつ)だったんだね。

「つづくシリーズ」は京都まで歩く。 まだ尼崎市役所の近く、1回目はここでくたくただよ。

「つづくシリーズ」の1回目
越水城瓦林城富松城水堂陣屋 ⇒ 七松城 まで歩いたよ。

 
 

寛仁三年(1019)、源頼信によって建てられた「七松八幡宮」です。

民衆の自衛手段として、集落の周囲に環濠をめぐらすことで防御したのを「環濠集落(かんごう)」といいます。

 

 


尼崎は広大な平野のため、山城といった戦闘用のお城を築くことはできませんでした。 尼崎にはここ七松環濠の他に栗山環濠、武庫環濠、次屋環濠、東富松環濠や西富松環濠があります。

永正十六年(1519)からこの尼崎は細川家内紛の戦場となり、細川高国方は池田城、伊丹城、尼崎城に入り、対する澄元方の三好之長が難波に本陣、富松、生嶋、七松、浜田、新田や伊丹市の小屋に陣を置きました。


天正六年(1578)、伊丹有岡城主・荒木村重が織田信長に叛きました。 尼崎城には嫡男・荒木村次、花隈城を荒木元清、三田城を荒木重堅、茨木城を中川清秀、高槻城には高山右近で固めていました。

有岡城攻めが始まりと、まず支城である尼崎城を攻める為に、信長の長男・信忠はこの七松に付城を構えました。

『参考文献を参照』

 

  
七松八幡宮
  「七松八幡宮」

水堂陣屋から最後の力を絞り出し、立花駅を南へ越えたよ。 駅前にあった地図を眺め考えてた。

地図というものは不思議な物、上が北で東向きにあると分からないものですね。

でも適当に歩いて来ても大丈夫だったよ。
 
七松城落城の碑
  「七松城落城の碑」

なくなられた武士及び家族の方の「六百二十余りの人の碑」です。

細川氏時代の戦い、それとも荒木氏時代かな。 いづれにしても、地元の方の昔への想いが込められてるよ。

そっと手を合わせ、つづくシリーズ第1回目は終わりだよ。

  第2回目も楽しみだよね。

  
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