則直城
兵庫県姫路市広畑区則直

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JR英賀保駅前の415号線を西へ走り、夢前川を渡り、1.5kmほどで北へ入ります。

ここは則直の集落、その北側にある標高216m京見山には則直城(のりなお)があります。

2005年1月、301城目は姫路のお城と決めていた。 ここも赤松氏のお城、景色は最高、のんきに登った山は泣かせてくれたんだよ。

 
  ここは京見山の山頂、別名「七つ岩城」だから、途中の岩が沢山あった所が城跡だったのかな。

ハイキングコース、毎日登っている方もいるのかな。
 

 


赤松満祐の義兄弟・祐尚の子である則尚(則直)が城主です。

嘉吉元年(1441)、京都で将軍足利義教の首を取った満祐は、小野市で首を洗い、加東郡の安国寺で葬礼をして京都へ返しました。

そして姫路市の書写山の麓にある坂本城に入り、幕府からの追討軍を待ちました。 追っ手軍は南からの淡路守護・細川持常や赤松貞村(赤松家の庶子家で敵対)、北からは山名宗全が攻めてきました。

南からの軍は塩屋の関から明石の人丸塚に陣を張ると、赤松軍は満祐の子・教康を大将に和坂で防戦の陣を構えました。 この赤松軍の中に則尚も参戦しているのです。

赤松軍は撤退すると、こんどは北の山名軍が生野へ迫り、満祐の弟・龍門寺真操や赤松義雅を破って播磨へと攻め入ってきました。

満祐は坂本城から揖保郡の城山城へ移ったのですが、ついに一族自害し赤松家は滅亡しました。 ところが、この城山城から龍門寺真操、義雅、教康、則繁、そして則尚は脱出しているのです。

この義雅の子が性存、その子が赤松政則、のち置塩城で一族を再興させた人物です。 教康は伊勢の北畠顕雅を頼るも自害、則繁は室津城から倭寇となって朝鮮に渡り、帰国後に畠山氏を頼るのですが、これも自害。

享徳三年(1454)、則尚は一族再興のために兵を集めて、斑鳩の壇持山に挙兵し、室山城の山名政豊を攻めたのですが、但馬から山名教豊が援軍を率いて坂本城に入り、則尚らは岡山県日生町の鹿久居島(かくい)に逃れ、そして果てたのです。 のち山名宗全は赤松氏の菩提寺である法雲寺で則尚の首実検を行いました。

長禄元年(1457)、赤松政則が再興した時には、家臣・井上通忠がこの則直城に入りました。

『参考文献を参照』

 

  
大山咋神社(おおやまぐい)
  「大山咋神社(おおやまぐい)」

山麓に神社があり、まず寄りました。

性空上人が修道の為に建立した神社で、赤松則尚が社殿を改修したのですが、嘉吉の乱の兵火で焼失しています。

のち、井上通忠により再建され、則直の氏神として崇敬されてきました。
 
登山口
  「登山口」

神社の左に登山口がある。 七つ岩への一番近道コースを登った、これがきついきつい。

ぜいぜい言いながら登って、降りてくる子供達に笑顔で「こんにちは」。

ぜいぜいを悟られないで息を止めるのは辛い、けっこう沢山の方が登っているみたいだよ。
 

 
七つ岩
 

「七つ岩」

着いた、大きな岩がある。

この右側にも大きな岩、そこから見る瀬戸の風景はすばらしい。 一人の年配の方に教えてもらった。

淡路と四国を結ぶ鳴門大橋も見えるよ、って。 明石大橋はよく見えると言うけど、鳴門大橋とは。

でも確かに四国が見えたよ。

 
山頂
  京見山の山頂、七つ岩から更に登った所だよ。

ベンチも風景案内もあるし、まさにハイキングで良い汗流そうだよね。

食べる物持ってきてないよ、お腹すいたけど、がまんする。
   

  
石垣
 
ここは山頂近くではないからね。 あまり自信がないから、とりあえず写真だけ、前には井戸跡もある。

でも、石の形は加西の善坊山城と似ているな、と思ってページ見たけど、違うかなぁ。

加西は則尚の兄弟・則繁のお城だから、同じ頃だと思うのだけど。
 
姫路の風景
  「姫路の風景」

写真の左端、写ってないけど姫路城があるよ。

大きな道路が姫路バイパス、こんなに曲がっているんだね。 そして右の山が黒田氏も居た妻鹿城の甲山。

でも相変わらず山からの風景写真は下手だよね、どうしたらうまく写るのか教えてほしいよ。
 

  
とんがり山
 

「とんがり山」

確かにとんがっている、一番上に出っ張った岩があるみたい。

その岩の上でお弁当食べて、叫んだりすると気持ちよさそうだよ。

何叫ぼうかな、「ケーキ、食べたいー」かな。

「のんきな事を言えるのは今だけだよー」と帰ってきそう。

 
泣き坂峠
  「泣き坂峠」

天正の頃、秀吉の播磨攻めで三木通秋の英賀城を落としました。

女・子供や落武者が悔い泣きながらこの山を越えて、北の原村方面へ落ち延びていきました。

南から京見山に登ったけど、もう一つ見たいお城があるからね。 峠を越えて北へ行くよ。

これが後で泣くことになるなんて、蒲田城へつづく。
 

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