小谷城
兵庫県加西市北条町小谷

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  加西の法華山を過ぎたところの「善坊交差点」で43号線(高砂北条線)を北へ、北条町で23号線へと入ります。 「北条中学校」西側の交差点を北へ曲がり、中国自動車道をくぐります。

200mほどで北側の山麓には陽松寺があり、その背後には標高218m山頂には小谷城(こだに)があります。

2004年4月の加西は花盛り、「嘉吉の乱」で落ちた赤松一族の城跡は、道に咲く花が間違った探索も楽しい事を教えてくれてるよ。

 
  「小谷石造五輪塔」

春の加西市と言えば「フラワーセンターの30万本のチューリップ」、この小谷城の緑もきれいだね。

事前準備の基本、日本城郭大系の縄張り図面を持って加西へとやってきました。

山麓のお寺の裏手から登っていきます。
 

 
赤松満祐の弟・上原祐政(赤松義則の次男)が、最初の小谷城主といわれています。

嘉吉元年(1441)、赤松満祐の「嘉吉の乱」の時、ここ小谷城には満祐の弟・直操(義則の五男)が守っていました。

足利幕府の追手軍は、阿波守護・細川持常を総大将に赤松貞村、満政、有馬持家らが山陽道から播磨へ軍を進め、北の但馬からは山名持豊が播磨へと攻め寄せました。

赤松満祐が書写山の坂本城で陣を構えた時、直操も龍門寺の禅僧である身を捨て、甲冑を着けて満祐のもとへと馳せつけたのです。

満祐は弟・義雅、直操と家老の上原備後守に佐用・永良・宇野・富田・粟生ら千騎をつけて、但馬口の生野峠で陣を構えました。

しかし、但馬の山名宗全の大軍は直操の陣を破り、義雅も破って坂本城に迫ってきたので、満祐は坂本城を放棄して揖保郡の城山城に一族ともに籠もりました。

この但馬口での敗北で、直操は自害、この小谷城も山名軍によって落城するのです。

『参考文献を参照』

 

  
登山口がある陽松寺
  「登山口がある陽松寺」

資料には、お寺の裏山が小谷城と書いてあるよ。 さっそく「円融寺」の北側の山に登りました。

尾根では木々が倒れ、ジャングルみたいな所で「縄張り図」と照らし合わせながら探索です。

大きな穴があったので、「井戸有り」とつぶやきながら終了。 降りてから、よく見ると「多可郡の野間城」の図面でした。
 
三の丸
  「三の丸」

岡山の鶴首城以来、山だけは間違わないようにと誓ったのに、山も違うし、見ていた図面も間違うとは・・。

日が西に傾いてきたけど、今度は「陽松寺」から登りました。 登山口は「陽松寺」の東にある阿弥陀堂からの方がいいよ、と書くけど信じてね。

と書いてる間に三の丸までやってきました、イス取りゲームもできるようになっています。
 

  
本丸
  小谷城の縄張り図を見ると、竪堀が四本ある。 しかし今回も見るのを忘れたよ。

最初に登った山では、かすかな穴さえも見逃さなかったのにね。
 
堀跡
 

本丸の裏にある堀です。

やっぱり、ここが小谷城だよ。 城跡は一目瞭然だよね。

でも最初に登った山にも、深さ50cmぐらいの溝があったよ。

 

  
乳の井戸
 
「乳の井戸」

この井戸は石垣の間から乳のような白い水が湧き出し、しばらくすると澄んだ水になります。

母乳の出が悪い婦人が八幡神社に詣って、この水でご飯を炊くと母乳が多く出ると伝わっています。

陽松寺から西に行った「こんな所にある」と言ったところです。
 
五百羅漢
  「五百羅漢」

ここは入口、中には4百数体の石仏があります。

「いつ、誰が、何のために」造ったのか、何一つその言い伝えが残っていないのです。 すごいよ、中に入って見てね。
 

  
道に咲く花
  「路に咲く花」

今日は加西の山を2つも登りました。 そして道で見つけた花です。

この季節には沢山咲いてると思うけど、疲れた時に道で見つけた花はきれいです。

完璧に下調べをして見つけるより、間違えた道で心奪われる花に出会うのも探索の楽しみなんだよね。
 

城跡探索