尾上構居
兵庫県加古川市尾上町長田

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  国道250号線(明姫幹線)で加古川を越え「鶴林寺南交差点」から南へ曲がり新幹線、山陽電鉄を越えると尾上構居(おのえ)があります。

2004年8月、真夏の加古川自転車探索、稲屋構居から東へ走る、ここは2つ目の構居だよ。

 
  尾上構居は尾上城ともいわれ、今では長田寺になっています。

少しだけおじゃましますね、東側の溝や少し南にある溝が当時の構居を囲っていたのかな。
 

 


嘉吉元年(1441)、嘉吉の乱で赤松氏が滅亡し播磨は山名氏が支配しました。 この尾上構居は、山名氏家臣の上村平左衛門が構主で、その後、小松原城主・小松原氏から分かれた加古氏が、加古新構主(別府城のことかな)・宇佐城主・そして尾上構主になりました。

天正六年(1578)、秀吉の三木城攻めの時には、別所方となった加古滝十郎や丹波守が尾上構居を守っていました。

『参考文献を参照』

 

  
長田寺
 

「長田寺」

すぐ南の尾上神社には、謡曲「高砂」に謡われた「尾上の松」があり、地上2mのところから男松と女松に分かれているらしいよ。

高砂神社には「相生の松」があるけど、松の関係がややこしいね、深く考えることもないのだけど。

その尾上の松も三木城攻めの時に切られたんだよ。

 

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