島村城
兵庫県西脇市坂本

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  中国自動車道、「滝野社IC」から国道175号線を北上し、西脇トンネルを越え「JR日本へそ公園駅」へ曲がる「寺内北交差点」の一つ南の交差点を西へ曲がります。

西のつきあたった所には西林寺と西脇公園、そのお寺が島村城(しまむら)と云われています。

 
  651年、天竺の法道仙人が開いたのが西林寺です。

山門をくぐり、本堂へ歩くと島村氏のお墓があります。
 

 
応仁の乱の後、文明元年(1469)に赤松家を復活させた赤松政則は置塩城を築き、重臣の浦上則宗に室津城を任せました。

但馬の山名氏が生野峠まで攻め込んで来た時、政則も応戦するのですが、不慣れな雪のために惨敗しました。 (真弓峠の戦い)

この頃から赤松氏と浦上氏の仲が悪くなり、子・義村が二代目城主になると、義村は村宗(則宗の孫)により室津に幽閉され、命を奪われてしまうのです。

この大永年間(1521-28)の頃、浦上村宗に従っていたのが島村弾正左衛門貴則です。

『参考文献を参照』

 

  
西林寺
  唐津ツバキで有名な西林寺。

本尊にはある十一面観音立像は藤原中期の作で、手足が4本ある珍しいものだそうです。

春は桜、初夏にはあじさい、もうすぐ秋の紅葉もきれいらしい、そんな四季を楽しめるお城跡なのです。
 

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