金沢城
石川県金沢市丸の内

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北陸本線JR金沢駅、その南東には金沢城(かなざわ)がありました。

2009年10月、初めての石川県。 利家とまつ、さすが加賀百万石の物語だよね。

 
  金沢城は3つの時代があるという。

天文十五年(1546)以来、「百姓の持ちたる国」として、加賀一向一揆の本拠となった金沢御坊が始まりです。

金沢御坊は、金沢御堂や御山とも呼ばれ、政治・経済・軍事の中枢をなしていたのです。
 

 
天正十一年(1583)、信長亡きあと、秀吉は柴田勝家と近江で戦い、賎ヶ岳の戦いでは勝家方の佐久間盛政は、秀吉軍に捕らえられ六条河原で処刑されるのです。

盛政滅亡のあと、秀吉は前田利家に石川・河北の二郡を与えました。

この時、利家は能登の小丸山城を居城にしていたのですが、この機に能登を離れ、尾山城に入り加賀・越中・能登を支配するのです。

『参考文献を参照』

 

  
  天正八年(1580)、柴田勝家軍の攻撃、のち佐久間盛政により占拠されました。

盛政軍は防備を固めるために改修、宗教的イメージを拭い去るために、仏像や堂塔を壊し、戦国城郭へと変えたのです。

そして御山を尾山と改め、築いたのが尾山城なのです。
 
  四年後の天正十一年(1583)、前田利家が入ると、本丸の位置を変え、周囲に塀を設けるなど大改造を行い近世的城郭へと変容していきました。

慶長七年(1602)、落雷による尾山城天守閣が焼失しました。

それを機に街をお城へと変えたのが、加賀百万石の物語、金沢城なのです。