小丸山城
石川県七尾市馬出町

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  能登有料道路を北へ、田鶴浜ICから249号線を東へ走ります。

JR七尾駅の西側には、小丸山城(こまるやま)がありました。

2009年10月、初めての石川県。 能登、ここも前田氏のお城だね。

 
  朝から晴れた、加賀・越中探索も三日目。

七尾駅南のビジネスホテルは満員バイキング、すぐ出て小丸山公園、朝は誰もいないみたい。

少し上ると本丸、前田利家の石碑があるよ。
 

 


天正九年(1581)、信長より能登一国を与えられた前田利家は、直ちに小丸山城を築くが、戦陣に明け暮れる毎日なので、能登の領国支配は兄・前田安勝を城代とし、所口(七尾)町奉行に三輪吉宗・大井久兵衛を当たらせました。

この時、前田一族を支えたのは、鎌倉時代より輪島・穴水地域の大屋庄地頭、室町時代には畠山家臣として能登の住民になじみのあった長連龍(ちょうつらたつ)でありました。

本能寺の変後、能登挽回を目指して石動山城へ入った温井景隆・三宅長盛との合戦に利家は、金沢城主・佐久間盛政と長連龍の援軍を得て、一日で勝利を得ます。

その後、利家と長連龍は血判起請文を交わ友誼(ゆうぎ)を深めています。

天正十一年(1583)、金沢城主となった利家は、安勝を金沢城代にするとともに、小丸山城主にもします。 そして安勝は、長連龍を城代に選びました。

文禄二年(1593)、利家の次男・利政は能登の一部を領したので能登侍従といわれました。 慶長二年(1597)、この利政は、小丸山城をはじめ、羽咋・鹿島一万五千石を分与され城主になりました。

しかし関ヶ原の戦いに参戦しなかったため、京都に移り宗西と称します。 元和元年(1615)、一国一城令により小丸山城は廃城となるのです。

『現地案内を参照』

 

  
  近くに和倉温泉がある、特急サンダーバード和倉温泉行はここだったんだ。

大河の「利家とまつ」をいっきに全編見た、やっぱり知ってから来ると、その地に立てた気持ちは倍以上の興奮湧き出るよね。

桜の木もいっぱい、秋色の葉、二人はずーと見てるのかな。