筑城城
香川県高松市鶴市町

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高松自動車道「高松壇紙IC」から176号線を北へ走ります。

鶴市町に入り、大きな電気店の手前の信号を西へ曲がると北側にはJA、南の集落の中には、筑城城(つづき)がありました。

2009年5月、緑きれいな季節は讃岐。 なんとか見つかったね、よかった。

 
 

JAに車置かせていただいて、集落に入る、すぐだよ。

西には香西氏の勝賀城、麓は佐料館があるね。

ここは木村集会場、社は城尾神社かな。

 

 


戦国時代の飯田郷三城の一つ、下飯田城ともいいます。 当時の城は、土塀囲いの屋敷で、小学校の北側に南門、農協支所の北側に北門がありました。

筑城氏は、長く勝賀城主・香西氏の武将として仕え、永正5年(1508)、初代城主・縫殿助は三谷城攻めに参加しています。

天正10年(1582)、三代目城主・清佐衛門の時、土佐の長宗我部元親の軍と是竹の伊勢神宮の馬場で戦います。

その3年後、秀吉の四国進攻により、香西氏は滅亡します。

天正15年(1587)、讃岐の大名として、赤穂から生駒親正が着任し、清佐衛門は二百石で召し抱えられるのです。

『現地案内を参照』

 

  
  道もカーブ、溝が堀なのかな。

もっと南の弦打小学校から、北側のJAまで200m四方が城域だったんだ。

大きな案内にびっくり、来てよかったと思うよね。
 

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