備中福山城
岡山県都窪郡山手村西郡・清音村

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  山陽自動車道、「倉敷IC」で降りてから国道429号線を2kmほど北上し、山手村に入ってすぐの「水路交差点」で西へ曲がります。 右手の山裾沿いの細い道をゆっくりと進み、山合の道を登ると「和霊神社」があります。  

神社の西側の標高302m山頂には備中福山城(びっちゅうふくやま)があります。

700年前の「太平記」、2003年9月には不思議な笛の音色に「福山合戦」を物語る城跡なのです。

 
  「城跡の狛犬と門石」

鎌倉末期には、真壁是久によって築かれた城跡で、是久の娘は庄資房の母なのです。

庄氏は猿掛城を本拠とし、全盛期には備中松山城主にもなっています。

ここ霊山の社寺を改造して城にしていたそうです。

 
 


海抜302mのこの福山は往古 神奈備山加佐米山、百射山とか言われましたが、山岳佛教が栄えた奈良平安期、報恩大師が頂上に福山寺及び十二坊を建て、伽藍が全山に並び、繁栄を極め福山と呼ばれるようになりました。

後醍醐天皇念願の親政が復活したのですが、建武中興に加わった足利尊氏が論功行賞に憤懣を抱き、天皇支持勢力の新田義貞、楠木正成等と対立します。

この結果、尊氏勢が九州へ敗走し軍勢を立て直して、再び京都を目指し東上を開始した。 福山合戦はその途中の延元元年五月におこりました。 足利直義十六日 朝原峠より攻撃を開始したが城兵撃退しました。

十七日四方より総攻撃をかけ城兵は石火矢、岩石落とし、弓矢にて二万余の死傷者を出したが、新手入り変り立ち変り、遂に乱入され火をかけられ落城となるのです。

大井田氏経一千騎引連れ、山下の直義の本陣になぐり込み奮戦したが、味方は百騎程になり山上は火の海、氏経はこれまでと部下を集め、三石の本陣に加わらんと、一方切り破り逃がれた福山落城後、直義は敗走する氏経を追い板倉より辛川まで十余度交戦を続け三石城へ逃れ去りました。

直義は足利勢をここで休養させ首実験をして戦攻を賞し、討首千三百五十三を数えたと云われています。

『現地案内を参照』

 

  
和霊神社
 

「和霊神社」

伊予国、宇和島の伊達秀宗の家老・山家公頼こと清兵衛を祭神としています。 反対派の中傷を信じた伊達秀宗は、元和6年(1620)、侍大将桜田玄蕃一派の武士数十人に清兵衛を襲撃し殺害させました。

清兵衛の次男、三男、四男、縁故者までが殺害されたそうです。 死をもって藩政をつかさどった清兵衛の忠節ぶりが、多くの人にたたえられ、愛媛県宇和島の「和霊神社」で祀られています。

この神社は、その分霊をお祀りした神社です。

 
磐座と古代宮跡
  「磐座と古代宮跡」

よくわからないのですが、飛鳥や奈良時代に石を信仰するような祀り事が行われていたのだと思うのですが、また教えてくださいね。

どこからか平安の笛の音色が聞こえます。 和霊神社の方から聞こえるのですが、とても不思議な雰囲気に包まれていくようです。
   

  
猿田彦神社
  「猿田彦神社」

裏の石段を上ると、急にロープが貼っている草の道になります。 神社を経由しないで山頂まで広い道がありますが、今回はこの草道を登りました。

道はつるつるで、写真を構えた時に本気ですべりました。 一度すべると立ち上がるたびにすべります。 ここは、素直にロープを持って登る方がいいですよ。

すべりながらも草むらから顔を出したところが山頂で、数名の年配の方が聞こえる音色に耳を傾けていました。

笛を吹いている人が、草の中から出てくるものと期待していたみたいで、目と目が合うと、皆さん目を閉じて不思議な音色に入っていきました。
福山城跡の石碑
  「福山城跡の石碑」

新田軍の大江田氏経は、「足利軍、京都へ進軍開始」の知らせを受けた時には、まだ準備不足でした。

「勝てる可能性は千に一つ、死して名を子孫に残す覚悟」と言ったそうです。

必死に生きて、そして命掛けで守ってきた人達だからこそ、700年過ぎた今でも名が残り、語られるのでしょうね。
  

  
土塁と石列
  「土塁と石列」

北から一の壇で五の壇まであります。

例えば今から500年先を想像してみると、現在に生きている人で名を語ってくれているだろうか。

たぶん日本では政治の偉い人や大きな会社の社長ですら名は出てこない思う。
 
石で囲まれた井戸跡
  「石で囲まれた井戸跡」

現在は医療技術で寿命も世界一、新幹線を使えば九州ぐらいあっという間に行けるのに、500年後の未来でも相変わらず語られるのは1200年前の「太平記」と「石で囲まれた井戸」だと、嬉しいのか哀しいのかわからないね。
  

  
西側の風景
 

「西側の風景」

ここは岡山、九州はとてもやないけど見えない。 でも700年前に数万の兵の足利軍が攻めてきたことは、現在でもはっきりと語られています。

500年後の未来、今の日本の素晴らしさが語られる現在であってほしい。

いつの間にか、不思議な笛の音色は聞こえなくなっていました。

 

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