波作利城
岡山県真庭市蒜山西茅部

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  米子自動車道「蒜山IC」から482号線を東へ走り、まもなく322号線は入ります。

何気に道の南側を見ていると波作利城(はさり)の案内がありました。

 
  蒜山高原の道の駅「風の家」に行った時だったのだろうか。

何故、ここを走っていたのかあまり覚えていないよ。

ここに城跡があり、そして案内があることに感激。
 

 


南田集落の南側、北へ延びる狭く細長く尾根(標高700m付近)には、中世の山城跡が残っています。

この城を波作利城(または波佐利城)といわれています。

6つの郭面を南北に連ね、その外側にも郭面を2つ設けています。 また、郭面の間には4本の堀切が作り出されています。

このほかに、土塁や小規模な石積みも頂上付近にみられます。

「作陽誌」によれば、室町時代、この城は赤松氏の家臣、岩倉晴時の居城でした。 しかし、康安2年(1362)因幡伯耆の守護である山名時氏・師氏父子の攻撃によって落城し、春時もまたあえない最期を遂げたと云われています。

『現地案内を参照』

 

  
  さすがに、山に登れそうになかったよ。

道の駅スタンプ集めに夢中、季節は田植えの頃だったんだね。

いつしか城跡が遠い思いになってしまったのかな。
 

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