井の内城
岡山県美作市下山

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  中国自動車道、「美作IC」を降りてから国道373号線を南へ走ります。 英田町に入る手前の「樫村交差点」を西へ、吉野川を渡りその先の362号線を南へ曲がります。

この道路沿いの標高252mの山頂には、井の内城(いのうち)があります。

岡山市の東を流れる吉井川、北へ走ると和気町の天神山城、吉井町の茶臼山城、そこから川は2つに分かれます。 西の吉井川は津山へ、東の吉野川を上れば美作へとつながるのです。

 
  秋の天気、姫路を出た時は晴れ、中国自動車道で岡山県へ入る頃には大雨です。

美しき心は変わり易いとは、昔のことわざ。

なんとか吉野川を渡った所、「もしかして、あの山」。

雨の空は変わらず、とにかく近づいてみるね。
 

 
嘉吉元年(1441)、播磨の赤松満祐の嘉吉の乱で一族は滅亡、こ時のの追討軍である山名軍として北条時氏の子孫・北条氏吉が戦功を挙げ、勝田郡公文庄の地頭職を賜り、井の内城を築きます。

その後、氏清・氏継・氏元と続き、清氏の時から地名にちなんで下山清氏と改めました。

出雲の尼子経久が山名氏に代わり美作・但馬・播磨にまで勢力を広めたのですが、代わって毛利氏がこの美作へ侵攻してきたのです。

天正7年(1579)、備前の宇喜多直家は毛利氏と手を切り、信長に味方するようになりました。 そして毛利氏に対抗する為に、家臣の花房職之と延原弾正に、笹部勘二郎が守る周匝茶臼山城を攻め落し、さらに北の後藤勝基の三星城へも攻撃をしかけました。

もともと後藤勝基は天神山城主・浦上宗景の重臣であり、直家が主家であった浦上氏を滅ぼした時、宇喜多氏と後藤氏は敵対、井の内城主の下山正氏も後藤氏に付くのです。

宇喜多軍が三星城近くまで攻めて来た時、下山氏・小堀氏などが城を出てよく戦ったのですが、城内での安東相馬による裏切りで落城するのです。

そして後藤勝基と妻・千代たちは山を越え入田原まで逃げたのですが、宇喜多軍に追われ、美作町長内の大安寺で自害、 この時、井の内城はすでに宇喜多勢により落とされていたのです。

『参考文献を参照』

 

  
小雨
  「小雨」

道沿いの登山口はすぐに分かりました。 でも、何も見てない振りをして通り過ぎたのです。

500mほどで車を降りて後ろを振り返る。

「やっぱり高いよ」、まだ雨は止まない。
 
登山道
  登山口、心の中では通り過ぎようとした、今度は車を止めて見つめたよ。

「登るしかない」
 

  
山麓
  少し入ると城主・下山氏のお墓がある、そして小さな祠が何箇所か祀られているよ。

一旦道は無くなり、上へ上へと歩くと再び道に出会う。
 
登山道
  こんなに整備された道でも、すべり易い。 太陽が出てないのに暑い、汗だく。

未来に残したい言葉のベスト3、ラジオで聞いたよ。

「覆水盆に反らず」「暑さ寒さは彼岸まで」、そして1位は「いただきます」と。

もうすぐ彼岸だというのに暑い、過去の言葉になってしまうのかな。
 

  
吉野川
  「吉野川」

やっと風景が見えてきた、左が湯郷温泉や三星城がある方向だよ。

雨は止んでる、霧も上へ上へと消えていくよ。
 
曲輪
  再びツヅラ折れの道、やっと尾根に着きました。

尾根上で道は左右に分かれ、最初は右側。 二の丸かな。

そして左側への道沿いには小さな曲輪が続いているよ。
 

  
灯篭
  尾根道から一段高くなっている所。

ここが一番高い所かな、石灯篭にちょっとびっくり。

ここが本丸だよ。
 
小さな祠
 

中央には小さな祠がある。 小さな屋根には雨雫、掘りとか井戸を見る余裕はなかった。

でも、いいんだ。 歴史の事や遺構の事、あまり分からない。

でも何もしないで振り返るより、雨に打たれても、ここに立てた事が楽しいんだよね。

 

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