三石城
岡山県備前市三石

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  山陽自動車道、「備前IC」を出て国道2号線を東へ2kmほど行くと、JR三石駅に入る道があります。 この三石駅の北方には、標高294m通称城山の山頂に、三石城(みついし)があります。

登山は、三石駅手前の大手門登山口からと、東側から深谷川沿いの林道(三石ハイキングコース)を通って途中まで車で登れるコースがあります。

この地は、播磨と備前の国境にある交通の要衝で、船坂峠の東は兵庫県播磨、西は岡山県備前になっています。
時代は下剋上、三石城も国境にあるがゆえに戦いに明け暮れた城だったのです。

 
  「大手門付近の石垣」

2003年1月、最初の岡山は三石城だよ。

南北朝時代には砦程度のものが、浦上氏と赤松氏の攻防戦の中で、整備・拡張されていきました。

城内からは、当時使われていた備前焼き物が出土して、一部は備前市の歴史民族資料館に展示されています。
 

 
元弘三年(1333)、地頭の伊東氏により築かれたと「太平記」にあり、その後、浦上宗隆が備前守護代として入り、以後浦上氏の拠点となりました。

浦上氏は村宗の代に備前東部から播磨西部にかけて領するまでになるのですが、その死後領地が二分され、備前東部を受けついだ宗景が、享禄四年(1531)天神山城へ移り、三石城は廃城となりました。

城内には、当時の遺構が良く残っており、頂上部の本丸(標高291m)から南西に二の丸・三の丸がのび、本丸の北側には堀切をはさんで独立の曲輪があります。

本丸の南西側面には大手曲輪が設けられ、当時の石垣が良く残っています。

二の丸・三の丸の北側にそって馬場があり、一段下の大手曲輪との間に池が設けられています。 城内には七基の井戸があり、特に三の丸の南にある井戸は「千貫井戸」と呼ばれ常に涸れることがありません。

また城の外郭線の山陽道側には二ヵ所の見張所があり、外敵の侵入を監視するようになっています。

城内から、当時使われていた備前焼大甕や小皿片が出土しています。

『現地案内を参照』

 

  
本丸跡
  「本丸跡」

この本丸から南西にニの丸・三の丸が伸び、北側には堀切をはさんで独立した曲輪「鶯丸(うぐいす)」があります。

城内には七つに井戸があって、そのうちの「千貫井戸」は、常にかれることがなかったそうです。

石が沢山あり、それは戦いに使われていた「軍用石」だそうです。
 
鶯丸と本丸の間の堀切
  「鶯丸と本丸の間の堀切」

周囲には非常に深い堀切があります。 本丸へは直接登らずに、この堀切を周回してから大手門に入ります。

  

  
  山頂から南側、三石駅方向の風景です。 晴れていると瀬戸内海まで見えるのでしょうか。

帰りは小雪が舞いはじめ、足早に三石を跡にしました。
 

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