小笹丸城
岡山県井原市美星町黒忠

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  岡山自動車道、「岡山総社IC」から国道180号線を西へ走ります。

高梁川近くで486号線を西へ、井原鉄道「小田駅」から48号線を北へ、美星町に入り77号線・星の里街道を北へ走ると小笹丸城(おざさまる)があります。

 
  都窪郡早島町に早島城がある、戸川陣屋のすぐ北側。

早島城の城主は竹井将監、冠山城で秀吉方の加藤清正と一騎打ちした人物だよね。

その竹井氏は、ここ小笹丸城主・竹野井氏だと云われています。
 

 
大永年間(1521-27)、竹野井氏が居城し、竹野井氏高・春高と続きます。

遺構は、現在ほぼ完全な状態で保存され、頂上の平坦な部分は主郭と呼ばれ、城の中心で、城道がとりつく北と、尾根つづきの東側に土塁を備えています。

主郭から一段下の曲輪は、次第に下りながら主郭を一巡する帯曲輪で、尾根つづきの防衛する重要な曲輪も見られます。

東下に2段の曲輪があり、その直下には堀切を設け、尾根筋を完全に遮断しています。 北側で土塁がカギの手に曲がる所は、虎口で、北側の竪堀に開かれています。

竪堀は、北側斜面を区分し、横移動を防いで、竪掘底は幅が広い上に、武者隠しによって守られています。 こうしたことから、この竪堀は当時小笹丸城への大手道を兼ねていたと考えられます。

内部に石積み井戸をもつ重要な場所があり、両脇に土塁を備えています。

小笹丸城は、戦国期の村落領主の詰めの城の典型的な事例といえ、大規模な石垣などはありませんが、土の造形によってきわめて綿密なプランを創出しています。

その整った構成から、現在地表面から確認できる遺構が完成したのは、天正期(1573-91)に降ると考えられます・

『参考文献と現地案内を参照』


  
鬼ケ嶽
 

美星町へ行く道を考えた、南北方向には県道がある、でも東西方向の道が分からないよ。

東の総社から、のこぎりのようにギザギザと西へ近寄ります。

矢掛町から35号線を北に走ると、鬼ケ嶽温泉。

温羅一族と吉備津彦の戦い、薬師湯の伝説を秘めた名勝地だよ、寄ってみたいけど大勢で一泊温泉がいいな。

 
登山道
  温泉過ぎて斜め南へおりてきます。

美星町役場を過ぎ、後で「中世夢が原」へ行くけど、「星の里街道」を北へ走ります。

通り過ぎるのを覚悟で、西へぐるっと回るあたり、お米をつく小屋がある。

「お米をつく」、ビンに入れて棒で突いてたから、そう言うのかな。
 

  
曲輪
  小屋でおばさんと話。

「来るなら、もっと大勢で来ると楽しいのにね」

でも大勢なら鬼ケ嶽温泉で長湯、やっぱり一人になってしまうよ。
 
遠藤周作記念碑
  「遠藤周作記念碑」

お城は本丸を真ん中に、丸い形。

一段下がって6つの曲輪が回りにある、ここは最初の曲輪だよ。

遠藤周作は狐狸庵先生、中学時代は神戸にいたんだね。

慶応の医学に受ったと父に報告、実際は文学部で勘当される。

でも道を開いていく、すごいよね。
 

  
土塁
  北側が虎口、大きな竪堀がある。

そのまま東へ回ると土塁だよ。

一周回って、主郭に上ると平らな所、北の隅に小さな神社が祀られています。
 
井戸
  神社の後ろ、曲輪を一段降りた所に井戸がある。

お米をつく小屋のおばさんに教えていただいた。

「井戸の奥に横穴があり、抜け穴だったらしい」と。

囲いがしてある、奥まで見えないよ。
 

  
中世夢が原
  戻ってきた、大河ドラマ「武蔵」のロケ地にもなりました。

当時の屋敷、中を覗く。 どうやって昔の雰囲気を造っているのか、その方が気になるよ。

名前がいいよね、「美星町の夢が原」。 仕事に疲れ、温泉で癒すことも大切。

疲れ果てた、湯けむりで癒してみたい、それもまた夢なのかな。

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