竜王山城
岡山県久米郡久米南町下籾

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  山陽自動車道、「岡山IC」を降りてから国道53号線を北へ走ります。 久米南町に入り間もなく東は「神目駅」、そこを西の県道375号線へと曲がり、山間の道を走ると池のそばに「瑞泉院」への道標があります。

池を左回りして瑞泉院に着くと、その背後には標高367mの竜王山城(りゅうおうざん)があります。

2004年の最後は美作のお城、ここ久米南町には二年もの間、見たかったものがあるんだよ。

 
  籾山神社の鳥居、この後ろの山がお城だよ。

12月、寒くなったけど雪はまだ降らないね。

久米南には先週も来たけど、今週も来たよ。

城跡探索を始めて2年、今年こそは見たいと思っていたよ。
 

 


天文元年(1532)、出雲の尼子経久は美作に侵攻し、医王山城・細尾城・稲荷山城・神楽尾城などの城を落としました。 天文13年(1544)、再び尼子晴久による美作攻略が行われ、岩屋城・小田草城・高田城も落とされました。

かつて伯耆と美作の守護・山名氏の一族である岸備前守氏秀が、尼子氏に味方して竜王山城を築いたのです。

この尼子氏の侵略も備前天神山城主・浦上宗景に阻止されると、進路を備中や播磨へと変えました。

その備中では守護細川氏に代わり、木村山城主・上野氏、猿掛城主・庄(荘)氏、幸山城主・石川氏そして成羽の鶴首城主・三村氏などが勢力を拡大し、毛利氏と結んだ三村氏が備中松山城へ本拠を移し備前へも迫ります。

厳島の戦いで陶晴賢を破った毛利元就は、永禄元年(1558)に尼子氏の出雲へ攻め入りました。

すると美作での尼子氏の勢力が衰えだし、浦上宗景はその隙を狙って竜王山城を攻撃、岸氏秀は防戦するも討死し、城は落ちたのです。

『参考文献を参照』

 

  
瑞泉院へ
  和気の方から484号線を西へ、途中で「ドイツの森」あたりから52号線に入った。 一台が通れる細い道を山の中へと入る。

やっと見つけた「竜天山」、でも間違い。 そのまま行くと「竜王山」そこも違う。

40分ぐらい山中を走る、標高400mぐらいのところ、木を切るおじさんに出会う、「何でこんなとこにいるの」と言われた。
 
岸氏の宝篋印塔
  「岸氏の宝篋印塔」

同じ「竜王山」でも久米南の西の端、ここも迷いそうな道だけど、余裕である。

瑞泉院に車を置かせていただくと、目の前には岸氏の墓。

静かに見つめて、裏手の道を登り始めた。
 

  
登山道
 

お寺の裏道に「竜王山城」の道標がある、犬にワンワン言われたらここに着くよ。

お城の東側から登っているのかな、方向がいまいち分からない。

 
道標
  すぐに道標、ここを曲がると大きな道で出る。

何か変だなと思うと、上に神社が見えるよ。
 

  
井戸
  こんな道が神社まで続いていたんだ、真ん中のは井戸跡だと思うんだけど、中は見れないよ。
 
籾山神社
  「籾山神社」

この神社がある所が主郭と思い、階段を下へ降りたら、一番上の写真の鳥居がある。

城跡の郭とか土塁は、神社からもっと上にあったんだよね、きっと。

来年からは、ちゃんと下調べするよ。
 

  
興善寺跡
  「興善寺跡」

瑞泉院から更に南西へ少し、ここへ来たかったんだ。

岡山のお城へ行きだして2年間、ずーと見たかった物がある。

でもどこ、あの池の向こうの電柱の下!

あの隅にあるのが、あの人のか。

田んぼのあぜ道を一歩一歩、近づいた。 本当にあの人か。
 
三村家親の墓
 

「三村家親の墓」

今年の3月、成羽の鶴首城に登った、その城主・三村家親の墓。

ここが家親が宇喜多直家の刺客に暗殺された場所か!

池に落ちそうなぐらいの緊張は、見れた喜びに変わってきた。

 

  
2004年も終わり
 

「2004年も終わり」

今年一年で170城ぐらい、2日に一城かな。 自分でも不思議だね。

島根や奈良そして四国も行きたかったけど、来年は「春は桜、秋はススキ」の探索をしたいもんだ。

とにかく2005年は「良い年でありますように」

寒い大晦日・雪は日本中で降ってるよ。

 

城跡探索