今西家土井屋敷
大阪府豊中市浜

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  名神高速、「豊中IC」から東の国道176号線を北へ走ります。

「服部本町交差点」から東へ、200mほどで川を越え南へ入ると、今西家土井屋敷(いまにしけどいやしき)があります。

 
今西家土井屋敷
  飛鳥時代の645年と言えば「大化の改新」。

中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿を暗殺したんだね。

その中臣氏は春日大社、今西家へとつながってくるんだよ。
 

 


今西家は、奈良春日大社の若宮神主・中臣家の支流で、鎌倉時代の末頃にこの地に着任されました。

領主として任務した今西家は、戦国時代に多くの氏族と姻戚を結んでいます。

例えば、二十七代・春景の室は赤松範顕の子女、三十四代・春一の室は森長可の子女、三十六代・春房の室は明智光秀の子女と云われています。

秀吉と光秀による「山崎合戦」の時、春房の弟・春光は光秀方に属していたため、秀吉によって所領を没収されました。

のち江戸時代には、領主保科氏の崇敬を受けたのですが、明治には春日神社は家内神となり、のち廃社されています。

『参考文献を参照』

 

  
春日神社
  「春日神社」

神話、天照大神は弟・須佐之男神(すさのおのみこと)の乱暴に怒り、天岩戸にお隠れになりました。

その前で祝詞を読んだのが、天児屋根命(あめのこやねのみこと)です。

この天児屋根命が中臣氏(藤原氏)の祖なんだね。
 
末社
  「末社」

藤原不比等が、奈良市春日野町に建てたのが春日大社、天児屋根命が祀られているよ。

春日神社の摂社(本社と末社の間)である春日若宮神社、その神主・中臣氏から今西家は続いています。

屋敷は江戸時代のもので、神社は奈良春日神社から移されました。

屋敷の北側、田んぼの中には末社が残っている、季節の変わる頃、古代そろそろ行くよ。
 

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