柴島城
大阪府大阪市東淀川区柴島

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  阪急千里線「柴島駅」へ向かいます。

駅の東側を北へ、柴島神社より少し南の住宅街には、柴島城(くにじま)の石碑があります。

 
 

十河一存(そごうかずまさ)、初めて出てくる人物かな。

でも三好長慶と兄弟だよ、とても勇猛で合戦で負った傷も塩をすり込んで治したぐらい、鬼十河と云われていたらしい。

この場所を探すのは大変、と書きたいけど、意外とすぐに出会えたよ。

 

 


十河一存(そごうかずまさ)が築いています。 この十河一存は、三好元長の四男、つまり兄は三好長慶、三好義賢、安宅冬康で、阿波の勝瑞城で生まれた人です。

そして三好元長の兄弟には政長がいます、つまり長慶や一存の叔父ですね。

三好元長は細川晴元の家臣として、高国との争いで功績をあげたのですが、その勢力は晴元から脅威と思われ、また兄弟の政長からも妬まれる存在となりました。

享禄五年(1532)、晴元と政長が差し向けた本願寺証如光教と木沢長政の軍により、元長は堺で敗れ、顕本寺で自害しました。 その後、政長は長慶や一存からは父の仇として敵対していくのです。

天文十八年(1549)、細川晴賢・三好政長の兵がこの柴島城で陣を構えると、長慶がこれを攻め、三好加助や河原林又兵衛ら十六人が討死し、残りの城兵は榎並城へ退いています。

そして長慶は十河一存らに榎並城を攻めさせると、政長は淀川の北岸にある江口城に退き、ついに政長は自害するのです。

『参考文献を参照』

 

  
柴島晒ゆかりの地
 

「柴島晒ゆかりの地」

十河一存は松永久秀と有馬温泉で湯に入っている時、突然世を去ったらしいよ。

晒は、(さらし)と読みます。 江戸時代の文禄三年(1594)、この柴島一帯では淀川の水で木綿を洗い、陽にあてることで白く加工していました。

淀川堤防がまるで雪が降り積もった風景だったそうですよ。

 

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