八幡城
滋賀県近江八幡市宮内町

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  R東海道本線、「近江八幡駅」の北には城下町、その背後標高283mの山頂に八幡城(はちまん)があります。

2006年6月、ドイツは熱いが、日本列島梅雨の中。 琵琶湖畔探索シリーズになりそうだよ。

 
  本能寺の変、安土城は信長の夢とともに姿を消した。

のち豊臣秀次が鶴翼山に築いたのが八幡城、そして安土から八幡山下に城下町を移したんだ。

ここは北海道から九州まで活躍した近江商人の故郷、今でも大切にされているんだよ。
 

 
八幡城は、天正13年(1585)、秀吉の甥にあたる秀次が近江43万石を与えられて、琵琶湖に臨む標高286mの八幡山に築城しました。

秀次は、若干18歳の青年大名でしたが、築城とともに、城下町の建設に揉捏を注ぎ、安土城下から多くの住民を移住させたと云われています。

山麓には琵琶湖から水を引いた八幡掘をめぐらせたが、これは単に城の掘というだけではなく、運河の役目も果たし、商業の発展を願って築かれたものです。

天正18年(1590)、小田原征伐の軍功により、秀次は尾張・伊勢を与えられ、百万石の太守として尾張清州城に移り、代わって京極高次が2万8千石で八幡城主となりました。

文禄4年(1595)京極高次が大津城に移ると、八幡城は廃城となります。 皮肉にもこの年、秀次は逆麟に触れ、高野山で自刃したのです。

城は廃されたものの、秀次が築いた基盤模様の城下町は存続し、近江商人の町として江戸時代を通じて繁栄しました。 近江八幡市には現在もなお、その面影が色濃く残っています。

『現地案内を参照』

 
 

近江の街並み
  近江八幡駅から自転車も乗れるバス、10分ぐらいで小幡町資料館前で降りる。

東へ歩くと旧八幡小学校舎、北に見えるのがお城だよ。

蚊帳・畳表を扱っていた西川庄六邸や、煙草・麻布を商っていた森五郎兵衛邸がある。

なんと今でも東京にある会社、ホームページで見れるからすごいよね。
 
八幡堀
  堀の傍には沢山の蔵、全国から送られてきた物産を貯蔵していたんだ。

人が堀ふちを歩いている、舟でも観光ができるのかな。

白雲橋を渡ると神社があるよ。
 

  
日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう
  「日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)」

氏神の祭礼に「左義長祭(さぎちょう)」や「八幡祭り」がある。

正月、信長は自ら異粧華美な姿で踊り出した。

三角錐の松明に竹を付け上を飾ると、女装した若衆たちが巡行する。

次の日、相手の左義長を倒そうと力を出し切る、最後は全て燃やし、火の粉を浴びると琵琶湖に春を告げるんだ。
 
登山道
  神社から登れるらしいが北側の道を上る、お墓の所を過ぎると山道。

汗がでます、やっと神社からの道と合流した。

もっと素直に上らなあかんと考える、横をロープウェイの音が登ります。
  

  
お願い地蔵尊
  山頂だよ、沢山の人がすがすがしく出てくる。

いきなり石垣が現れると、お願い地蔵尊。

お願いこと、沢山ある。

今回はWC勝って、と書いてる間に、涙が出そうな目をこすり出勤する。
 
村雲御所 瑞龍寺門
  「村雲御所 瑞龍寺門」

ここがお城の本丸あたりだね。

秀次が世を去ると、生母・瑞龍寺殿日秀尼公は出家し、秀次の菩提を弔うため京都嵯峨野に瑞龍寺を建てました。

昭和37年に京都の村雲からこの地に移されています。
  

  
安土
  山頂の周囲を裏へ、西の丸や北の丸がある。

右の高い山が観音寺城、左の手前が安土城だね。

安土は低いけど、けっこう石段はきつい。 だと観音寺城は一日コースかな。

同じサムライなら、フォワード信長、そう11人を考えたら面白いよね。
  
琵琶湖
  琵琶湖周遊シリーズは梅雨どき。

人間の脳は1つしか悩めない、つまり悩みがあっても次の悩みで、前の悩みは奥深くに隠れてしまうらしい。

そして多くの体験をすることで、人生幸せになるらしいよ。
  

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