肥田城
滋賀県彦根市肥田町

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  京都山科、長いトンネルを抜けると琵琶湖。

琵琶湖一周シリーズの18日目、琵琶湖の東、稲枝〜南彦根までだよ。

JR稲枝駅を東へ出る、北側の稲枝沢線を東へ1.2kmぐらい、道路沿いには肥田城(ひだ)がありました。

 
 

稲枝駅から歩く、この碑の手前に「山王祠」の案内があるよ。

その辺りが肥田城の中心とも云われているよ。

明治時代、土の中からいわれを書いた木簡と古銭を入れた壷が出てきたんだ。

 

 


大永年間(1521-28)、高野瀬隆重により築城、のち秀隆・秀澄と続きます。

永禄3年(1560)、小谷城主・浅井氏と通じたことから、六角定頼・義賢父子の攻撃を受けるのです。

しかし堅城のため難攻、義賢は周囲に土塁を築いて水攻めを行うも失敗に終わっています。

その後、義賢は幾度も攻撃を試むと、肥田城側は浅井氏に援軍を求め、ついにこの地も浅井氏の手中となるのです。

永禄12年(1569)、信長軍により開城、天正2年(1578)には信長の家臣・蜂屋頼隆が入り、翌年には長谷川秀一が守りました。

文禄の役で長谷川氏は病死、慶長以後は廃城となるのです。

『参考文献を参照』

 

  
  「崇徳寺」

肥田城主の菩提寺かな。

高野瀬重、秀隆、蜂屋頼隆、長谷川秀一の肖像画が伝わっている。

ここには高野瀬累代、蜂屋氏、長谷川氏らのお墓もあるよ。

ここから東には高野瀬城、とにかく歩いてみるね。
 

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