彦根城
滋賀県彦根市金亀町

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  名神高速「彦根IC」を出るとすぐに彦根市内です。

この湖畔には、日本の12ヶ所に残る旧天守のひとつで、松本城、犬山城、姫路城とともに、国宝の天守を持つ彦根城(ひこね)があります。
 
昭和27年に天守は国宝閣に、天秤櫓・太鼓門櫓など多くの建造物が重要文化財に指定されています。 また新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」としても知られています。

 
  はじめは、大坂の豊臣氏に備えての城造りだったので、廃城となった大津城、佐和山城、安土城などから石材、瓦、材木を運んでの突貫工事だったのです。

天守閣も大津城から移したものなので、三層三階で城全体からすると、少し小さい感じがするのもそのためです。

でもさすが国宝です。中の雰囲気や匂いが、やっぱり国宝なのです。 階段は姫路城より勾配がきついです。

日本の旧天守は他には、弘前、丸岡、高梁、松江、丸亀、松山、宇和島、高知です。
 

 
彦根城は、東方の佐和山の小高い丘に築かれた、佐和山城から始まります。 この城は信長が、浅井氏攻めの時に、浅井の武将が籠城していた城です。 のち石田三成が居城として佐和山城に入りました。

慶長5年(1600)、井伊直政は、関ヶ原の戦いで、徳川四天王の一人として抜群の功をたて、この戦いに敗れた石田三成の佐和山城を与えられました。 しかし山が高すぎたので、改めて琵琶湖畔に築こうと考えました。 直政は実現できず病死したので、その子直継が、その遺志をうけて、この彦根城を築城しました。

井伊家は三代将軍家光の政治に、譜代の意見を代表する人物、つまり譜代筆頭になりました。 そのような地位が、後世の大老になり、幕末には大老井伊直弼(なおすけ)が登場してくるのです。

直弼は安政五年(1858)、強引に「日米修好通商条約」を結んで、時の尊攘派を怒らせました。 これを機に公家、大名、尊攘派の間で、不穏な動きが出てきたので、直弼は抑制すべくいわゆる「安政の大獄」を断行しました。

万延元年(1860)、大老井伊直弼は桜田門外で、水戸浪士(十八人)の襲撃を受けた事件もよく知られています。

『参考文献を参照』

 

  
  天秤櫓(てんびんやぐら)
この櫓は、豊臣秀吉が築城した長浜城の大手門を移築したものといわれています。

ちょうど天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。 この形式は彦根城ただ一つだそうです。 右と左で石の組み方が異なるのも特徴です。

西ノ丸の三重櫓も、もとは長浜の天守でした。 その前は浅井氏の小谷城本丸だったといわれています。
 
  彦根と言えば、やっぱりこれでしょう。

「ひこにゃん」はやっぱりかわいいよね。
 

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