石部城
滋賀県湖南市石部町石部中央

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  名神高速道路、「栗東IC」から国道1号線を東へ走ります。

JR草津線の石部駅を過ぎ、「石部口交差点」から南の113号線へ、市西庁舎を過ぎると、石部中央バス停留所の道沿いには石部城(いしべ)がありました。

 
 

京や湖南から甲賀への入口、甲賀口と云われる宿場町。

新幹線や名神高速は琵琶湖の北まで行くけど、国道1号線は琵琶湖の南から東方向へ行く、昔の東海道だね。

ここは大きな道に面した善隆寺、東西80m・南北100mで石垣もあるらしいよ。

 

 


文明年間(1469-87)、近江国守護・六角氏の旗頭である三雲氏が築きました。

享禄年間(1528-32)、三雲氏に替わり、青木秀正・石部家長父子が入ります。 石部氏は甲賀五十三家の青木氏のことです。

長享元年(1487)、鈎(まがり)の陣の戦いで、六角高頼軍は将軍・足利義尚に攻められ石部城に籠城しています。

永禄11年(1568)、信長の京への上洛阻止に失敗した六角承禎・義賢父子は石部城に入るのですが、天正2年(1574)には佐久間信盛に攻められ、六角父子は脱出、石部城は落城するのです。

『参考文献を参照』

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御高札場(ごこうさつば)
  「御高札場(ごこうさつば)」

お城の少し北、街中は宿場の面影があるよ。

ここで掟、条目、禁令などを板に書いて、一般民衆に報せてた。

よくテレビで見る光景、高札は明治3年まで続いたそうだよ。

甲賀武士五十三家、まだ一人しか出てこないね、どこを探せばいいのかな。
 

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