津和野城
島根県鹿足郡津和野町後田

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  JR山口線津和野駅を南へ、まもなく西側の山頂には津和野城(つわの)が見えます。

2010年8月、リフト怖すぎ、暑すぎさえ忘れていたよ。

 
  坂崎氏は有名な千姫事件で1616年に断絶となり、亀井家二代亀井政矩(まさのり)が津和野藩主として入ります。

それから250年間、亀井氏が11代にわたって居城、明治6年(1873)の廃城令で建物は解体。

壮大な石垣だけが残るのです。
 

 
文永11年(1274)、弘安4年(1281)の元(蒙古)軍の北九州・北浦への来襲を受け、鎌倉幕府は西石見の海岸防備を吉見頼行に命じました。

頼行は弘安5年(1282)家来とともに能登から木曽野(津和野町北西部)に地頭として入り、永仁3年(1295)、この城山山脈に築城を始めます。

以後吉見氏は14代300年間、随時増築補強を行い、城山山脈の諸所に曲輪・堀切・竪堀・横堀などを構築して堅固な中山城(一本松城あるいは三本松城と呼ばれた)を築きました。

この山城は天文23年(1554)の「三本松城の役」では大内氏、陶氏、益田氏その他の大軍に山麓を包囲されながらも、四月から八月までの100日余の籠城戦に耐えました。

吉見氏は関ヶ原合戦(1600)で毛利氏とともに西軍として戦い、敗れて萩へ退転しました。 翌年、坂崎出羽守が初代津和野藩主として入部、現在の本丸と織部丸の位置に高い石垣の近世山城を築きました。

『現地案内を参照』

 

  
  リフトが怖いので、歩いて登るつもりだった。

でも「熊が出るので、リフトで登ってください」とある。

熊も怖いけど、リフトも怖いよね。

でも、上りはなんともなかった。
  
  三十間台とある、本丸跡かな。

ここから見える山々がすばらしい。

坂崎氏は備前宇喜多氏の出、ここで出会うとは嬉しいね。

千姫物語、自分もきっと坂崎側だね。
  

    
  リフトが怖いのを悟られないように、前後に誰もいないように乗る。

降り始めて、対岸の山の威圧が怖さ倍増。

リフトに乗っていることを思考から除くように、汽車の煙に目を付ける、無理である。

思いきって空を見上げた、足が落ちそう、更に倍増である。
  

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