撫養城
徳島県鳴門市撫養町妙見山

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「鳴門IC」から東の12号線、28号線で鳴門海峡を目指します。

鳴門の街を流れる撫養川の東、遠くからでも見える妙見山には撫養城(むや)があります。

2005年8月、ここも阿波九城の一つ。 最後に会ったのはいつなのか、思い出すのが夏休み、去っていくのも夏の日々かな。 

 
  東は鳴門、ここは淡路と阿波の押さえのお城だね。

鳴門が生んだ人類学者・鳥居龍蔵博士を顕彰した「鳥居記念館」。

館内には龍蔵が収集した資料が展示され、特にアイヌ関係や中国古代は貴重なものです。

 


天正十三年(1585)、蜂須賀家政が阿波に入国し、国内九ヵ所に城塞を設けたのを「阿波の九城」といいます。

撫養城は淡路渡海の押さえとして、異母弟の益田内膳正忠を城番にし、手勢三百名をもって守らせました。

寛永十五年(1638)、一国一城の令により阿波九城は破却されました。

社殿後方の城石は当時の面影を残しています。

『現地案内を参照』

 
 

妙見神社
  「妙見神社」

天保元年(1830)、旧城主・四宮加賀守の子孫と、豪商近藤利兵衛が、城跡に妙見神社を再建しました。

祀られているのは天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、宇宙で最初の神、日本神話の神々の筆頭だね。

神社の背後、両側には当時の石垣、その間は床下を通り抜けるよ。
 
  8月のお盆、日本中の人々は故郷へ心を戻す。

毎年、町内の夏まつり、沢山おもちゃを仕入れて店をだす。

お墓まいり、同窓会、一年ぶりの友、雨雫はじいた赤い提灯、同じ顔ぶれが電灯の下で話す。
 

  
 

「鳴門」

昔出会った人、全ては思い出せない、でも一瞬の笑顔は覚えてる。

どうしているのかな、いつからか歳を重ねていない。

鳴門の浜よ 重ねた貝殻浮かべて描く 砂のイニシャル、日々に消えたかも。


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