田内城
鳥取県倉吉市巌城

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東郷湖を国道9号線で西へ、「はわいIC」の所から179号線を南へ走ります。

天神川が小鴨川と分かれる巌城橋を渡ると、小鴨川の西岸には田内城(たうち)がありました。

2008年11月、秋色に変わる鳥取。 倉吉に来たのは3年前の夏、何回来てもいい街だよね。

 
  小鴨川が大きく曲がる北側の仙石山頂、山名時氏の二十年間のお城だった。

この辺りは、「見日千軒」とも云われた城下町だったらしい。

久しぶりの山名氏の登場も三年ぶりかな。

但馬の此隅山城や有子山城も懐かしい、もう一度行ってみたいよ。
 

 
田内城は、今を去ること六百五十年、山名時氏公の約二十年間の拠城でした。

公は、清和源氏の名流で上野国多胡郡山名(群馬県高崎市山名町)の出身で、全国六十六ヶ国のうち十二ヶ国を領し、六分一殿と称せられる程の隆盛を見た、南北朝時代の知勇兼備の武将で、侍所長官として幕政にも重さをなしていました。

建武四年(1337)、伯耆守護に任じられ、その治所としたのが、この仙石山頂に築いた田内城でした。 急峻な岩山で、東の山裾には、国府、小鴨の両川が流れ自然の堀となり、また水運にも利用されて城下町が発達し「見日千軒」といわれる程に繁栄していました。

時氏公の嫡子師義公は、打吹城を築いて、治所を移したので、当城は廃城となりました。

この遺跡は、簡素で、小規模な山城の元の形を今によく残しているが、当時の建物の姿は明らかでないので、後世の諸城を参考として櫓風に造りました。

『現地案内を参照』

 

  
  東側の登上口から、大きな岩を見ながらつづれ上り、途中「武者溜」の郭があるよ。

郭を見ていると、道が分からなくなった。

思いきって真っ直ぐ上る、草木につかまりながら、すべるすべる。

すぐあきらめた、郭まで降りると普通の道、素直に上ればよかったのにね。

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