室山合戦
兵庫県たつの市御津松室津
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国道250号線を御津町に入り、「七曲り」と呼ばれる海岸沿いを走るとまもなく海側には室津の街へと入ります。 ここ室津は街全体が丘で、その山頂には室山合戦の地と云われています。

 
  後白河法皇は、源氏軍の木曽義仲(源義仲)に平家追討と京の治安維持を命じたため、平氏は西海へ落ち、屋島を本拠地として勢力の回復を図りました。

寿永二年(1183年)、義仲は平重衡、通盛らの平氏軍と備中水島で戦うのですが大敗し、しかも法皇は源頼朝に「十月宣旨」を発し、義仲追討の命を下しました。
  
  義仲は京の後白河法皇の法住寺殿を攻め、法皇を五条東院へ幽閉するのです。

義仲が京に帰ると、代わって頼朝の叔父に当たる源行家が兵を率いて播磨に入りました。

これを迎え撃つために平教盛・重衡は、ここ室山に陣を張ったのです。
  
  行家の軍勢はさんざんに打ち負かされ、行家は命からがら播磨国から和泉国へ逃げ延び、河内長野の城へ引きこもります。

寿永三年(1184)、こうして水島、室山両合戦に勝利を治めた平氏は、かつて平氏が遷都した摂津福原(神戸)に戻り、のち「一ノ谷の合戦」へと続くのです。

『参考文献を参照』
 
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