友君の塚
兵庫県たつの市御津町室津
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姫路の南、国道250線をひたすら西へ走ります。

道の駅「みつ」を過ぎ、七曲りと呼ばれる道を気持ち良く走り、室津の街へと入ると、友君の塚がありました。

 
  友君は木曽義仲の第3夫人で、京都では山吹御前と呼ばれていました。

義仲が命を落とすと、友君は播磨国へ逃れ、途中の室津で身ごもっていた子供を亡くすのです。

その供養のため、この室津に留まるのです。
  
  京都から讃岐国へ配流される法然が室津に立ち寄ると、友君は遊女としての不安を打ち明けるのです。

法然は「早く他の生きる道を見つけなさい。 もし良い案が浮かばないのなら、ひたすら念仏を唱えなさい」と説法します。

友君は浄運寺へ出家し、のち法然が赦免となり、京都へ帰る途中に室津に寄ると、彼女は一筋に念仏を唱え往生したと云われています。

『Wikipediaより』
  
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