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義経の鵯越え |
兵庫県丹波篠山市、加東市、小野市、三木市、神戸市 |
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寿永三年(1184)、平家追討のため、源範頼と源九郎義経は平氏の拠点福原を目指して出陣します。
範頼は西国街道を、義経の率いる軍勢一万余騎は京都から丹波路を進み、鵯越えで一ノ谷へ向かうのです。
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馬口池
丹波篠山市小枕
ここは国道372号線沿いにある池だね。
義経軍は鷲尾三郎義久に案内をさせて、小枕にある春日神社に鞍を奉納して戦勝祈願をし、近くの池で馬の口を洗い、水とかいばを与えます。 |
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不来坂嶺(このさか)
丹波篠山市不来坂
平氏がこの坂に兵を進めていると源氏側は予想していましたが、来ていなかったので「平氏不来坂」と呼ぶようになりました。
ここはJR福知山線の踏切だね。 |
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名無木(ななしのき)
丹波篠山市不来坂
義経が使っていた鞭を地に刺して、「源家長久ならば芽を生じ、盛大に繁茂せん」と言ったところ見事に芽を出したそうです。 |
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集坂(つどいさか)
丹波篠山市住山
元暦年中、源義経がこの場所に将卒を集めて隊を整え、三草山に向けて撃走します。
JR福知山線の古市の踏切を西へ、まもなく北の集落に入っていった所だよ。 |
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三草山合戦モニュメント
加東市上三草
ここは加東市、三草山の麓の国道沿い、世に言う「三草山合戦」があったところだね。
義経軍は平資盛を中心として守備をする三千騎の平家軍陣地に夜襲するんだ。
資盛は讃岐国屋島に敗走、義経は鵯越えと向かうのです。 |
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いくさ野かなし池
加東市下三草
国道372を南へ、下三草にあるよ。
義経に敗れた平氏がこのあたりまで逃げてきて、侍女らが悲しみ池の畔で水を飲んで喉を潤したとある。
でも池はもう無いよ、田んぼになっているね。 |
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宝巌寺
加東市喜田
中国自動車道を南へ、西の喜田には平家ゆかりのお寺があったらしい。
いくさに敗れた平家の武士をかくまったが、源氏軍が取り囲み引き渡しを要求します。
でも応じなったので、焼かれたと云われているよ。 |
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佐保神社
加東市社
加東市役所の西の方だね。
三草合戦の後、義経が軍兵をこの神社に集め、体制を立て直して、土肥実平に主力軍を預け一ノ谷に向かわせるんだ。 |
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山氏神社
加東市社
佐保神社の少し東かな、ここはだね。
勝利した義経が、社村の豪族多田将監の屋敷で一日だけ休み、一ノ谷に向けて出発。
今は境内になっている多田屋敷に義経が植えた「義経お手植えの松」があるはずなんだけど。 |
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義経の腰掛岩
小野市樫山町
加東市の南に接する小野市樫山町、樫山駅のすぐ北西だよ。
義経が一休みしていた岩だけど、少し見つけにくい小高い場所にある。
この町では、河内源氏第五代源為義の十男・源行家と平忠盛の四男・平教盛が戦ったとも云われているよ。 |
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粉喰坂
小野市樫山町
同じ町にある。 義経がこの坂にさしかかった時、行会った老女に道を聞きました。
そして空腹だったので、食物を乞うと、老女は麦をいぶして作ったハッタイ粉を差し出しました。
義経はお礼に年貢を免除してやろうと言うのです。 |
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亀井が淵
小野市樫山町
義経の家臣・亀井六郎という弓の名手が山麓めがめて矢を放ったところ、不思議なことに岩間から湧き出したと云われている。
お腹を満たし、この湧き水で喉を潤した義経一行は一ノ谷へと向かうのです。 |
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国位田碑
小野市樫山町
樫山町の薬師堂の脇にあります。
義経から年貢の免除を受けたことを示す石碑だそうです。
江戸時代まで免除が続いたらしいよ。 |
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義経のみち
三木市福井
小野から三木へ入ると、三木城の南の総合公園だね。
ここを義経が通ったと云われているよ。 |
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判官神社
三木市志染町三津田
義経に差し出した大飯の故事にちなんで、判官さんを祀ったと云われています。
11日に恒例の「大飯講(おおめしこう)」を行っています。 |
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丹生山
神戸市北区山田町衝原
三木から神戸へは丹生山を抜けたらしいけど、どこを通ったのかな。
山頂の帝釈山からの眺めは素晴らしいよ。 |
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福田寺(ふくでんじ)
神戸市北区山田町東下後ケ市
丹生山を南へ降りると、道沿いには丹生神社の鳥居がある。
北の集落へ少し入るとの福田寺(ふくでんじ)があります。
義経に道案内をした鷲尾三郎義久の菩提寺です。 |
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義経馬つなぎ松
神戸市北区山田町下谷上中一里山
さらに南へ行く、しあわせの村の東には鵯越墓園、北の方にあります。
福原に集まった平家10万を攻めるために義経の軍勢がここに集まり、合戦の相談をしたんだ。 |
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蛙岩
神戸市北区山田町下谷上中一里山
墓園を南へ行くと、小さな「蛙岩 入口」の案内板があるよ。
中へ入ると大きな岩が、ここだと思うけど、案内らしきものは無いよ。
義経勢が平家を攻めた逆落としの場所が一ノ谷ではなく、この蛙岩とも云われているんだね。 |
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鵯越の碑
神戸市北区山田町下谷上中一里山
墓園の一番南、入口にある、うまく写真が撮れないね。
義経軍は70騎でここを通り、「鵯越えの逆落とし」で有名な一ノ谷合戦へと突入するんだよね。 |
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義経腰掛の松
神戸市須磨区多井畑
ここは須磨、義経一行が多井畑厄神八幡宮で戦勝祈願をした後、この松の下で一休み。
そして一ノ谷へ向かうんだね。 |
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