|
平知盛の墓所 (大畑の五輪塔) |
兵庫県佐用郡佐用町大畑77 |
Home 兵庫県の源平史跡4 |
|
|
JR姫新線「千本駅」から434号線を西へ、まもなく粟町三差路で44号線・播磨テクノラインを西へ走ります。
テクノ中央交差点から28号線を北へ、テクノ北公園を過ぎて、まもなく三差路を西へ「ひょうご環境体験館」を過ぎて、山間の44号線を走ると常勝院の手前200mには平知盛(とももり)のお墓がありました。
|
|
|
|
通称「とももりさん」「知盛塚」とも呼ばれ、地元に伝わる落武者伝説、平家一族の知盛の供養塔(墓)との伝承が残っています。
壇ノ浦で敗れた平家は、日本のあちこちで源氏の目をのがれ、山深き谷間や山中で生活を送ります。
藤原基通も平氏の武者7人ともにこの地に身を隠したのです。 |
|
|
|
|
大畑の五輪塔は、清盛の子である平知盛・知忠父子のもので、これを建立したのは知忠の子孫で室町時代初期のものです。
のち、知忠は建久5年(1194)、鎌倉幕府打倒のため、平家旗揚げの従者3人と共に、京を脱出し中国、四国を経て平家集落をあちこちと尋ね、大畑村にたどり着きました。
この地で藤原氏の娘と恋仲になり、子供も授かるのです。
『現地案内を参照』 |
|
|
Home 兵庫県の源平史跡4 |
|
|