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建久2年(1191)、後白河上皇近侍の阿闍梨章実により、木の丸殿を白峯御陵に移し、跡地に之に代わるべき祠を建立し、上皇の御神霊を奉斎し奉ったのが鼓岡神社の草創と云われています。
境内には、木の丸殿、擬古堂、観音堂、杜鵑塚(ほととぎすづか)、鼓岡行宮旧址碑、鼓岡文庫などがあり、附近には内裏泉、菊塚、碗塚があります。
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「崇徳院御製碑」
崇徳上皇は、長寛2年(1164)に崩御されるまでの6年余りをこの地で過ごされました。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢うわむとど 思う |
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「杜鵑塚(ほととぎすづか)」
啼けば聞く 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす
崇徳上皇が都をしのんで詠んだ歌です。
これを聞いた里人が気をつかい、以来鼓岡一帯ではホトトギスが鳴かなかったと云われています。 |
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「擬古堂(ぎこどう)」
保元3年(1158)、崇徳上皇は雲井御所から府中の鼓岡の木ノ丸殿に移られました。
木ノ丸殿とは、木の丸太で造った御所といった意味合いで、御所としては粗末な造りだったと云われています。
大河「平清盛」で、すごい場面だったのが、ここだったのかな。 |
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