宇治川先陣の碑
京都府宇治市宇治 塔川・府立宇治公園(中の島)
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JR宇治駅から南の宇治代官所跡の通りを北東へ、宇治御茶屋を見学し、宇治平等院のすぐ東、宇治川の中州には宇治川先陣の碑がありました。

 
  寿永3年(1184)、後白河法皇から木曾義仲追討を命じられた源頼朝は、源義経軍を先発隊として出兵させました。

木曾義仲軍と源義経・範頼軍は宇治川で衝突、そこで義経軍の梶原景季と佐々木高綱が先陣を争うのです。
  
  高綱は、「景季どの、そなたの馬の腹帯がゆるんでいるように見える」と言うと、景季が腹帯を確認している隙に高綱は一番乗りを果たすのです。

宇治川の戦いで敗れた木曾義仲は逃げる途中で命を落とし、そして源氏軍は一の谷の戦いへと向かうのでした。
  
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