文覚寺
京都府亀岡市保津町山ノ防88
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JR山陰本線「亀岡駅」から東の25号線で桂川を北へ渡ります。

400mほどの信号の手前の道を東へ曲がり、400mほどで北へ上っていくと文覚寺がありました。

 
  文覚上人は、摂津源氏の武士団である渡辺党の遠藤氏出身で、鳥羽天皇の皇女・統女内親王(上西門院)に仕えていました。

高雄山の神護寺の再興を後白河天皇に強く訴えたため、源頼政の知行国である伊豆国に流され、そこで同じく配流の身だった源頼朝と知り合うのです。

頼朝が平氏や奥州藤原氏を討ち、勢力を強める中で、神護寺、東寺、高野山大塔、東大寺など各地の寺院を勧請し、建物を修復します。
  
  頼朝が征夷大将軍の時には、幕府の要人として影響を及ぼすのですが、頼朝が亡くなると、将軍家や天皇家の相続争いに巻き込まれ佐渡国に流されるのです。

元久2年(1205)、後鳥羽上皇の謀反の疑いから、対馬国へ流される途中、世を去るのです。

『Wikipediaより』
  
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