那須与一堂
京都府亀岡市下矢田町東法楽寺
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JR山陰本線「亀岡駅」から南の9号線まで出てきます。

下矢田交差点から6号線を南に走ると、500mほどで西側の小高い山には那須与一堂がありました。

 
  与一堂は平安の昔、安行山に住居し、阿弥陀如来の御徳によって天文学を極め天文博士となった阿部晴明がこの山に法楽寺を建立し、恵心僧都の作佛になる阿弥陀如来像をおまつりしたことに始まります。

源平合戦に口丹波を経て、一の谷へ向かった源義経の軍勢に加わった那須野与一崇高はこのあたりで俄かに病にかかりました。
  
  たまたま法楽寺の阿弥陀如来に祈願をこめたところ、忽ち平癒して一行の後を追います。

その後、屋島の合戦に際して如来の御加護により、みごとに扇の的を射落し、弓矢の名を挙げたことは広く知られるところであります。

『現地案内を参照』
  
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