佐藤継信、忠信の墓
京都府京都市東山区渋谷通東大路東入北側
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京都府の源平史跡2
源義経四天王として活躍、四天王とは佐藤継信・忠信兄弟と鎌田盛政・光政兄弟と云われています。
治承4年(1180)、奥州にいた義経が平家追討の挙兵した時、藤原秀衡の命により佐藤継信・忠信は義経軍に加わりました。
のち兄継信は屋島の戦いで討ち死にしたと云われています。
元暦2年(1185)、壇ノ浦の戦いの後、義経が官職を得た際、忠信も兵衛尉に任官したことで、頼朝から怒りを買っています。
文治元年(1185)、義経と頼朝が対立、頼朝から京都の義経の屋敷に刺客・土佐坊昌俊が差し作向けられた時、義経は忠信と共に応戦しています。
文治2年、潜伏していた中御門東洞院を襲撃され命を落とすのです。
『Wikipediaを参照』
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