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平清盛公 ゆかりの御神水
仁安元年(1166)、平清盛公が熊野詣でをされた際に、「土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ」との御神詫を授かりました。
帰京後、邸内を探したところ、東方の築山が夜光を放っており、清盛公自らが三尺ほど掘ったことろで、土中から若一王子の御神体が現れ、当地に社殿を造営し鎮守としました。 |
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平清盛公 御手植楠
平清盛が御神体に開運出世を祈ったところ、翌年の仁安2年(1167)2月10日、太政大臣に任ぜられたことから、開運出世の神様として尊崇されています。
社前の御神木は、平清盛公によって植樹されたものと云われています。 |
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祇王歌碑
「萌えいずるも 枯るるも同じ野辺の草 何れか秋にあはではつべき」
白拍子・祇王、祇女や仏御前の物語も、西八条の邸宅での物語だそうです。
太政大臣を退いてから摂津福原に居を移しましたが、妻の二位尼時子はこの邸に住みました。 |
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平相国 平清盛公
治承5年(1181)2月4日、清盛は64歳で世を去ると、その2日後に邸で火災が起こります。
再建された建物も、寿永2年(1183)7月25日、平家の都落ちで自ら火を放ち、邸宅は灰となるのです。
『現地案内を参照』 |