六道珍皇寺
京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町595
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  創建は平安時代にさかのぼり、かつては真言宗東寺に属していました。

中世期に兵禍によって荒廃したため、建仁寺僧の聞渓良聴(もんけいりょうそう)により南北朝時代に建仁寺所属となり、その再興がはかられ現在に至ります。

寺域は、古来からの葬送の地、鳥辺野(とりべの)の麓で入口付近に当たることから、冥界との境界「六道の辻」と称され、お盆に帰る精霊は必ずここを通るともされました。
  
  「六道」とは、仏教でいう一切の衆生が生前の業因(ごういん)によって赴くとされる地獄、飢餓、畜生、修羅、人間、天上の六種の迷界をいいます。

本堂裏庭には、夜毎に閻魔庁(えんま)に出向くときに使ったと伝わる「小野篁公冥途通いの井戸(おののたかむら)」もあります。

平清盛が火葬されたのが六道珍皇寺あたりと云われています。

『現地案内を参照』
  
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