武信稲荷神社
京都府京都市中京区三条通神泉苑町西入下ル今新在家西町38
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  平安時代この近くにあった藤原氏の学問所勧学院と医療施設延命院の守護社として、右大臣藤原良相によって創建されたと云われています。

武士になるために、お椀に船で京へやってきちゃ一寸法師が住みついて奉公するのが「京は三条の大臣殿」の屋敷でした。

この大臣殿が藤原良相と云われています。
  
  武信稲荷神社のエノキで、平重盛が安芸宮島の厳島神社から苗木を移し植えたという伝承を持ち、神木とされています。

神社の南には、六角獄舎という牢獄があり、勤王の志士が多数収容され、坂本龍馬の妻おりょうの父も捕らえられていました。

二人は何度も訪れるも面会はかなわず、龍馬が身を隠した時には、「龍」の字を掘って、生きている伝言にしたと云われています。

『現地案内を参照』
  
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