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先陣庵 |
岡山県倉敷市粒江1214 |
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瀬戸中央自動車道「早島IC」から2号線を西へ、倉敷川を渡る手前の信号で22号線を南へ走ります。
名田の信号から22号線を南東へ、粒江小南の信号から東の道へ、400mほどで南の集落へ入ると西明院、ここの境内には先陣庵がありました。
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今から約八百年の昔、寿永3年(1184)、源平藤戸合戦の行われた頃は、このあたりまで一面海でした。
対岸の源氏の陣中より佐々木盛綱が馬で海を渡切り、この地に上陸し、一気に平氏の陣に攻め入り、源氏を勝利へ導きます。 |
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当時馬で海を渡るなど、前代未聞、驚異的な行為で、のちに盛綱は、この地に「先陣寺」という寺を建て、戦没将兵と、渡海の手引きをしてくれた恩あるにもかかわらず、他言を封じるため命を奪った浦男との冥福を祈りました。
当時は規模も広大でありましたが、いつしか衰え、一字の小庵に名残りを留めているにすぎなくなりました。
『現地案内を参照』 |
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先陣庵から北側の集落を抜けて、道沿いにあるよ。
「源平藤戸合戦沖ケ市激戦地の碑」とあるね。
平家方の本陣がもう少し南だから、源氏方の佐々木盛綱が海を渡って上陸してきたあたりかな。
きっと、この辺りで、大激戦があったんだよね、碑があって良かったね。
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