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藤原成親遺蹟 |
岡山県岡山市北区吉備津 |
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JR桃太郎線(吉備線)「吉備津駅」から南の180号線を東へ、まもなく吉備津神社目交差点を南へ入ります。
吉備津神から吉備の中山みちを東へ、300mほどで福田海本部、そこから山の中腹へ上ると藤原成親遺跡がありました。
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ほぼ直道で上る、今日は夏日、汗だくになってしまうよ。
京都、鹿ケ谷において僧俊寛とともに、平家追討の密議にやぶれ、俊寛は鬼界島へ、藤原成親は治承元年(1177)、この地「有木の別所」に流されました。
成親は、有木山の中腹にある山寺(今なお十数個の礎石をのこす高麗寺か)で配所の月を眺めるうち非業の最期をとげたと云われています。 |
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幕末の万葉調歌人として広く知られる平賀元義は、この地での成親の最期について、「あたらこの成親がごときよき臣を有木の山のうもれ木にして」とうたっています。
大河で見ていたけど、実物の遺跡を見ると、鹿ケ谷の陰謀も本当にあったことなんだと感じるよね。
『現地案内を参照』 |
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