河原津の合戦
大阪府茨木市太田町
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名神高速、「茨木IC」から国道171線を東へ走ります。

まもなく「西河原西交差点」から46号線を北へ、名神高速道路を越えると西国街道、その東の集落には太田城(おおだ)の碑があり、この地で河原津の合戦がありました。

 
  ここは太田城跡、平安時代末期の平城で、太田太郎頼基というひとが築いた城と云われています。

頼基は、多田源氏の一族で、源義経と近くの川原条(安威川と西国街道が交差する太田橋のすぐ西側)で合戦しました。
  
  平家を滅ぼした義経が都にとどまっていたとき、兄頼朝が義経を討つため都に攻め入るという噂がたったので、文治元年(1183)11月3日の明け方、義経は西国へ逃げのびようとしました。

頼基は、「我が門の前を通しながら、矢ひとつ射かけてあるべきか」と言って、河原津(河原条)というところで義経と戦うのですが、この時敗れたと云われています。

『現地案内を参照』
  
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