判官松伝承地
大阪府大阪市西淀川区大野2丁目4
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名神高速3号神戸線「大和田IC」から10号線を西南へ、阪神なんば線を越えてそのまま走ります。

まもなく「大和田西交差点」を越えると、50mほどの東側には、判官松伝承地の碑がありました。

 
  義経は屋島へ向かう際、摂津国の水軍渡辺党と熊野別当湛増の熊野水軍、そして河野通信の伊予水軍を味方につけ、摂津国渡辺津に兵を集めます。

この時、暴風雨のため諸将は出航を見合わせたのですが、義経はわずか5艘で出航、通常3日の航路をわずか4時間で阿波国勝浦に到着するのです。
  
  その前のこと、元歴2年(1185)、源義経が平家追討の途中、しばしの休息をとったと云えられる景勝の地で、明治の初めまで近くに判官松と呼ばれる老松と小丘が残っていたそうです。

『現地案内を参照』
  
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