おとせの石
滋賀県大津市本堅田
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琵琶湖の西岸、JR湖西線「おごと温泉駅」から558号線を北へ、仰木口交差点から東へ進むと湖岸には満月寺 浮御堂があります。

そこから海岸線を南に進むと堅田雄琴海岸公園、そこにはおとせの石がありました。

 
  源平争乱の時代、堅田の出身で京都の源氏の屋敷に奉公していた、おとせと言う女性がいました。

おとせは、平家滅亡の際に源氏の白旗を守って大津に逃れ、平家の追手をさけて湖に飛び込みます。

しかし平家の侍に白旗を握ったまま手を切り落とされて命を落としてしまうのです。
  
  片腕はこの地に流れ着き、浜の石を血で染めました。 そして片腕はおとせの子が指を開かせるまで、忠義を貫いて白旗を離さなかったといいます。

以来、この浜は、おとせの浜と呼ばれるようになりました。

その子は、母の意志をついで、白旗を守護し、のち木曽義仲の武将・手塚太郎光盛になったと云われています。

『現地案内を参照』
  
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