平家終焉の地
滋賀県野洲市大篠原86
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  平家が滅亡した地は、壇ノ浦ではなくここ野洲市です。

平家最後の最高責任者・平宗盛は源義経に追われて、寿永2年(1183)7月一門を引き連れて都落ちをします。

西海を漂うこと二年、元暦2年(1185)3月24日、壇ノ浦合戦でついに破れ、平家一門はことごとく入水戦死しました。

しかし一門のうち建礼門院、宗盛父子、清盛の妻の兄平時忠だけは捕らえられました。
  
  宗盛父子は源義経に連れられ鎌倉近くまでくだったのですが、兄の頼朝に憎まれ追いかえされ、再び京都へ向かうのです。

途中、京都まであと一日程のここ篠原の地で、義経は都に首を持ち帰るため、平家最後の総大将・宗盛とその子・清宗を斬りました。

そして義経のせめてもの配慮で、父子の胴は一つの穴に埋められ、塚が建てられたのです。

『現地案内を参照』
  
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