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平安時代中期の永祚元年(えいそ:989)、宇多天皇の孫あたる寛朝僧正が朝原山のふもとに遍照寺(へんじょうじ)を建立する際、本堂の南に庭池として造営したと云われ、このことが別名遍照寺池の由来になっています。
池は遍照寺の衰退と共にすたれましたが、明治時代中頃に地元の有志が島を築造しました。 |
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源氏物語のモデルになったといわれる大顔(おおかお:村上天皇の第七皇子で具平親王の妾妻)が、月見の最中に池畔で急死するできごとがありました。
散る花に汀 (みぎわ)のほかの影そひて 春しも月は広沢の池
「広沢月詠」の藤原定家の和歌です。
『Wikipedia参照』 |
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