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「東海道名所図会」には、「石橋は神籬(ひもろぎ)の外にあり、池を御手洗(みたらし)という、片目の魚ありとなん」と書かれています。
片目の魚は、身代わりとして娘を目の病から救ったためと云われています。
神籬(ひもろぎ)ちは、神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、臨時に神を迎えるための依り代となるもの)だそうです、初めて知ったね。 |
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嘉祥3ねん(850)、天台宗僧・円仁が神宮寺を創建し、多宝塔を建立し、現存する多宝塔は永正6年(1509)、重原城主・山岡忠左衛門が再建しています。
明治の神仏分離令の際、祀られていた藍染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ「知立文庫」と名を替え、取り壊しの難をのがれたのです。
知立、名古屋から名鉄、知立で乗り換え2両で豊田へ、いい旅の途中なんだよね。
『現地案内&Wikipediaを参照』 |
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