英賀神社
兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町2-70
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  英賀の名称は、当地に鎮座する伊和大神の御子・英賀比古神と英賀比売神の神名が由来と云われ、祭神として祀られています。

英賀比古神と英賀比売神は当地を本拠として、播磨灘沿岸地域を開拓しました。

また菅原道真、誉田別天皇(応神天皇)、天兒屋根命(あめのこやね:春日大社本神)も祭神です。
  
  天兒屋根命は天照大神が天岩戸にお隠れになった時、天照大神を岩戸から引き出すために、祝詞(のりと)をあげ神事を行った神で、中臣鎌足の先祖と云われています。

英賀の地に、赤松則尚(播磨守護赤松満祐の甥)が英賀城を築いたのですが、嘉吉元年(1441)に落城、英賀構は赤松氏より英賀保内に権益を与えられ三木与市兵衛ら大将5人が海岸要害を守りました。
  
  赤松氏滅亡のあと、英賀は三木氏一族が勢力をもち文明年間(1368−87)から一向宗の活動拠点ともなりました。

天正5年(1577)、信長は中国攻めを開始、秀吉は播磨に侵攻します。

天正8年(1580)、秀吉の攻撃で英賀は焼失や破却の被害を受け、英賀御堂は亀山の地に、町人は姫路城下と飾磨津に移住させられました。

神社境内の裏には、英賀城の土塁が残っています。
    
  司馬遼太郎先生の「播磨灘物語」の碑です。

天正4年(1576)、播磨に進出してきた毛利勢と黒田官兵衛は戦い、毛利軍を撃退します。

英賀の町は現在も放射状の道路でややこしい、でも思わぬところに城跡や案内、石碑がある、また一度探してみてください。

『現地案内を参照』
  
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城跡探索