|
|
播磨風土記によると、出雲の国から来た大神と妹神が佐用の領有を競ったとき、妹・玉津日女命は生きた鹿の腹をさいて、その血に稲をまいたところ、一夜で苗が生えたたので、それを植え付けました。
大神は「汝妹は五月夜に植えるつるかも」と言い、去って行きました。
讃容(さよ)の地名は、これからつけられたと説明しており、女神を賛用都比売命(さよつひめのみこと)と名付けたと云われています。 |
|
|
|
赤松円心、別所敦範(利神城主)、池田輝政(姫路城主)、池田出羽守(利神城主)などが崇社としました。
また山中鹿之助がこの地に来た時、尼子家再興を祈念して石燈籠を奉建したり、宮本武蔵が諸国修行に出かける時、当社に木刀二振りを捧げ、武運を祈願して出立したと云われています。
『現地案内を参照』 |
|