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神亀2年(725)、播磨大掾(だいじょう)吉備朝臣魚養公、神域を営繕しましたが、保元の頃(1156−1159)、岩清水八幡宮の別宮となりました。
源平の乱世も公武の厚く保護せられるも、天正4年(1576)兵火により社殿すべて灰となり、祭祀の中断のやむなきに至りました。
正保2年(1645)、再建し秋には見事な屋台練りと、宵宮の華麗な提灯練りが繰り広げられます。 |
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江戸時代、力石を担いで大力持ちとして関東一円を風靡(ふうび)した「三ノ宮卯之助」が仰向けになって、両足で差回した「曲持ち」銘の力石と、手で差し上げた「差し石」銘の力石が当神社に現存します。
卯之助が担いだ刻銘の力石は、長野・諏訪大社など関東を中心にして26の有名な神社に37個現存していますが「曲持ち」と刻まれた力石は、当神社に唯一つ残る貴重な力石で、当地より以西には三ノ宮卯之助の足跡は見当たらないそうです。
『現地案内を参照』 |
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