| 
      
        |  |  | 以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めましたが、度々の兵乱や天災により荒廃しています。 
 文禄年開(1592−96)、秀吉は当社を伏見城内に移し、鬼門の守護神としました。
 
 慶長10年(1605)家康により旧地である当地に戻され、現在の本殿が建立されました。
 |  
        |  |  
        |  |  | 御香水 
 社伝によれば、貞観4年(862)9月9日、境内から清泉が湧き出て、その香気が漂い、その水を飲むとたちまち病が癒えました。
 
 清和天皇から「御香宮」の名を賜り、今では名水百選に選定されています。
 |  
        |  |  
        |  |  | 伏見城跡の残石です。 
 慶応4年(1868)1月、伏見鳥羽の戦いに、当社は薩摩藩の陣営となり、大手筋をへだてて南の伏見奉行所の幕府軍(会津藩、新選組)と戦いました。
 
 幸いにして戦火を逃れています。
 
 『現地案内&Wikipedia参照』
 
 |  |